2011年9月3日土曜日

9月2日














陸前高田小学校

朝6時に出発 現地の状況が判らないので
昼食用におにぎりなども人数分購入した。

木村君の車と長内さんの車、そしてデイリリーの車3台での
この旅最大の人数での移動。

盛岡から高速を使い100キロ近くの移動。セルフで給油

天気は生憎の雨模様でした。

アップダウンのある国道を進み、気仙地域に入ると道路沿いに がんばろう気仙、がんばろう岩手の文字が目立ち始める。

海岸沿いには仮設の中古車販売やトレーラーのお弁当屋などが現地のライフラインを早くから助けていたんだろうなと嬉しくなる。

しかし湾周辺地域に近づくと、景色は一変する。
平原かと思えた場所は撤去の進んだ住宅地なのです。
国道には数羽の海鳥が車に衝突して道端にころがっていた。

昔は住宅地で道路脇まで家があり鳥が群がるような場所ではなかったんだろう。

ナビの示すまま小学校の校庭を入ると体育館の壁は剥がれ、中には漁船用のブイが大量に置かれていた。
校舎の一階もほぼ壊滅状態。
こんな場所で小学生が授業をしているのかと思ったら、被災した中学校で、ここから少し上の小学校で現在は中学生も一緒に勉強していると聞き少し上に見た小学校に向かった。

それでも膝ぐらいまでは海水に浸かり、お借りしたパイプ椅子などが錆びていた。

教頭先生が「向こう側から津波が押し寄せ、まるで夢を見ているようで信じられませんでした」と指を指す場所は今も大型重機が稼働し、漁船が転がっていた。

しかし5ヶ月という時間は地面に青葉を生やし、表面的にその無惨さは消えつつあるものの、雄大な景色の中の住宅が全て押し流され、唯一この眺めを見ている小学校だけが残ってる事が奇跡的な事。
そして避難した全ての小学生が無事だと聞き本当に良かったと思う。

幸い小学校から上に住む方々は無事なようでした。

昼食の時に図書室から見る、殆ど人工物の無い景色を見ながら勉強をしなければならない小学生の事を考えました。
答えなんて出せそうにありません。

できる事ななら、傷跡の無い場所で勉強させてあげたいと思います。
先生だってそう思う方が多いと思います
いや、現実の中で学ぶ事も必要ですと考える方もいるかも知れません。

私はメンタルケアのプロではないので何が正かまったく判りません。

心理学の先生方などが、より良い方法を考え実践して頂けたらと思います。

僕にできる事は、さてアートなのか? それほどこの場所は生きる事や学ぶ事、生きている事、学べる事など
大きすぎる感情が揺さぶります。

日記を書きながらもそう思えます。
でも物作りの中ででしか僕にはできないし、考えられないので、良い作品を多くの人に見て欲しいと思います。
多くの子供に楽しんでもらい、喜んでもらい、考え込んだり、知ろうとしたりする そんな作品を運びたいと思います。

何なる?と 聞かれる事はこの旅ではありませんでした。
しかし 何なる? は繰り返し頭をよぎります。

昨日の被災後図書館のネットで調べて、参加して下さった方の話を書きましたが、多くの子供や人が今回のツアーで
体験し喜んでもらい、その中のほんの一部の方 数名だけにでも 必要とされたなら、それだけで良かったのだと思います。

アートの力は小さいでしょう しかし、だからと言って 何もしない訳には行かないと思いたいものです。

明らかな形で現れないし、芸術全てが、世の中にハッピーを与えるために作られものでもないのも事実です。

しかし、ここでは芸術全てを論じる必要はありません。

ただ 良いと思う作品を運び、高学年はじっと見る平面があり、低学年はかくれんぼする立体があり、園児は熱中できるレゴのワークショップ。

書けば書くほどに 色々異な事を書かなければなりそうです。
ここで書くのを辞めておきます。


昼食の時 先生が廊下で「昨日から給食が始まったんですよ」と教えてくれた。

ゆっくりと日常は戻っていっているようです。

カレーの匂いがしました。

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